日本の美は潔癖症

日本独特の「美」の中にも、潔癖症的な傾向を見出すことができます。

私は世界中をくまなく巡ったわけではありませんが、大雑把に言って西欧系もアラブ系も、日本文化のルーツである中国系も、「装飾」はできるだけ隙間なく埋め尽くす余白恐怖症的なものが多く見受けられます。ヨーロッパの古いお宅では、壁一面に絵を飾り、そのすべての絵にはくどいまでに絢爛豪華な金色の額縁がつけてあることも珍しくありません。

それに対して「日本的なるもの」の代表選手は、「床の間に掛け軸、花瓶には花一輪」。外国にあってこそ際立つ祖国、というのがありまして、パリのエキゾティックな雑貨屋で「漆の盆に枯れ枝一本」のプレゼンテーションを見かけたときに、これこそが「日本」だと、他のどの国とも違う、もちろん中国とも違う「日本の実のイメージ」なのだと気づかされました。

商店街のプラスティックの桜の飾りや歌舞伎など、特に庶民的な分野では賑やかな派手さもあることはありますが、場に洗練が求められるほど地味に、簡素に演出する、「余白」を重視するセンスが、武士の文化の名残でしょうか? 日本にはあります。

変に飾りたててアバタになってしまうよりは、いっそのこと何もないさっぱりした状態のほうがいいという、そんな「潔癖症的」な美意識を感じます。現代的なモノのデザインは、今やグローバルな価値観を基本にしていて国ごとのテーストは目立ちませんが、それでも、パリの街中で、特にこざっぱりとして美しいものをふと手にとってみると日本製であることが少なくなく、日本に相変わらず潔癖症が脈打っていることを何度となく思い知らされました。